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遊悠舎京すずめニュース

第77回京すずめ学校ご報告
世界初・宝石を焼き付けた京焼の工房見学と東福寺訪問

2013年11月23日、快晴のお天気に恵まれ、紅葉の美しい東福寺の近くにある南山工房様へご訪問させていただきました。工房ではロクロを廻しての実演も拝見して、京焼、清水焼が発展していった職人さんの努力と工夫についてもお話を賜りました。
 JR東福寺から徒歩10分ぐらいのところにある工房は、ちょうど、もみじ祭の最中であり東福寺は紅葉の名所として駅を降りるのにも一苦労するほどの人出でございました。

伊藤南山氏プロフィール 

1959年 京都市に生まれる
1993年 フランス日本大使館にて実演指導
1994年 パリにて個展を開催
1995年 オーストラリアにて実演指導
1997年 ル・マン国際見本市に出品
1999年 京焼・清水焼 伝統工芸士に認定される
2005年 浅黄交趾鳳凰紋皆具が茶道裏千家鵬雲斎大宗匠の御好物となる
2007年 水指がマレーシア国立博物館のパブリックコレクションとなる
2008年 京都迎賓館において作品使用採用
2010年 京セラ製京都オパールの陶磁器への焼き付けに成功する
2011年 ハワイにてギャラリー&レストラン「南山 枝魯枝魯」をオープン 
2013年 天然宝石の陶磁器への焼き付けに成功する
     京都市伝統産業「未来の名匠」認定
スクリーンショット 2014-01-28 15.02.05.pngスクリーンショット 2014-01-28 14.53.47.png
実際にロクロを廻しながら、実演を拝見し、伊藤家独特のつくり方はスピード
があり細かい作業も次々と進んでいく様子に受講生は感動していました。宝石
を焼きつけた陶器の綺麗な輝きに見入ってしまい、改めて芸術の可能性を感じ
たひとときでした。

東福寺

スクリーンショット 2014-01-28 15.02.53.png東福寺という名は、奈良の「東大寺」と「興福寺」の、それぞれ東と福の一字ずつもらい「東福寺」と命名されました。東福寺は、臨済宗東福寺派の大本山で、京都五山の第四位の禅寺として、中世から近世を通じて栄えました。
この地には、関白藤原忠平が建てた法性寺の巨大な伽藍がありました。開基(創立
者)の摂政九条道家は、聖一国師(しょういちこくし)を開山(初代住職)に迎えました。
1236年(嘉禎2年)から1255年(建長7年)までの19年をかけて、高さ5丈(約15メートル)の釈迦像を安置する仏殿を建立されました。この5丈の釈迦像は、1319年の火災で焼失し、14世紀半ばに再興されましたが、1881年(明治14年)に大火で仏殿・法堂、方丈、庫裏と共に、再び焼失しました。
東福寺の建設工事は30年以上に亘り、法堂が完成するのは1273年(文永10年)でした。その後、火災などで何度か焼失しますが、その度に九条家、鎌倉幕府、足利家、徳川家などの援助で再建されました。
現在の仏殿・法堂、方丈、庫裏などは明治以降の再建ですが、国宝の三門、東司(便所)、浴室、禅堂などは火災を逃れたおかげで、中世の貴重な建物が現存します。明治に廃仏毀釈で規模が縮小されたとはいえ、今なお25か寺の塔頭を有する大寺院です。

現存する日本最古のトイレ・東福寺のトイレ・東司

スクリーンショット 2014-01-28 15.03.25.png室町時代に作られた重要文化財のトイレが京都には二つあります。東福寺の南東の一角に東司という中世からのトイレがあり、室町時代に再建された現存する日本最古のトイレです。
 備え付けの桶に水を汲み、右手に桶を持ち替えて、左手で戸を開けて入り口で履物
をかえて、便台に登ってから左手で戸を閉めます。便台の穴にまたがり、しゃがんで用を足します。
 禅宗ではトイレ掃除やお風呂も修業の場として、使用方法も厳しく規則が定められており、糞尿も肥壷に備蓄され、熟成した頃に畑に撒くのも修業の一つでありました。この肥壺に備蓄された糞尿が畑の生産量を大幅にアップし、自然の循環サイクルが見事に活かされたシステムとして昭和の時代まで残っていましたが、衛生的な面から肥料が科学肥料等に変化していきました。

道元禅師の教えによれば、便所は仏道修行者にとって大事な道場のひとつです。
―両辺を汚すことなかれ―

鎌倉時代の名僧・道元禅師の代表作に『正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)』という本があります。その中に、<洗浄>という巻があります。洗浄とは心身を洗い浄めるという意味です。『両辺を汚すことなかれ』ということばは、その<洗浄>の巻の中に出て来ます。両辺とは便器の両側のこと。要するにトイレを汚すなということです。トイレは毎日お世話になるところです。そのトイレを汚すなということは、あたりまえのことですね。そういうあたりまえのことを、自分の日常の生活の中で、具体的に行ってゆく―。
それが道元禅師の教えだと思います。さて、トイレの中ではだれにも見られません。自分一人です。だれにも見られないトイレの中で、このあたりまえのことをどう具体的に行ってゆくか?というと、そう簡単なことではありませんね。だれにも見えないところで行う自分の行(ぎょう)ですから。だからトイレは大事な修業をする道場なのです。